そもそも、『利便性』と『プライバシー』というのは、相反する要素だと言える。
例えるなら、Uberなどのライドシェア・サービスは、個人の『位置情報』のマッチング・サービスだと言えるし、GAFAが提供するサービスに関しても、要は自分の個人情報を提供する代わりに、便利さを享受出来るサービスだと換言出来る。それは、相手が自分の事を知っていればいる程、高い質のサービスを提供出来る、と言う当たり前の事実に行き着くものなのだ。
正直、私のような内向的な人間にしてみれば、多少生活が不便でも出来る限りプライバシーは守りたいと考える。しかし現在に於いては、その利便性とプライバシーの境界線を個人が選択出来ないのだ。そして、この事は中国の台頭という事と無関係とは言えない。
結果的に、私達はスマホを持っている限りは、常に位置情報を収集され、グーグルで検索すれば、それらの情報は蓄積される。おまけに、スマホ決済が浸透すれば購買情報から、年収や社会的地位・趣味や家族構成など全てが丸裸にされる。
グーグルが、家族や貴方の大切な人以上に、貴方を理解するという事が有り得るのだ。
また、最近の記事ではAmazonが倉庫の従業員に対し人工知能を用いた解雇制度を採用しているという事実も明らかになった。これは、カメラも用いた画像解析技術から、個人の生産性や手を休めている時間などを割り出し、一定の生産性に満たない従業員を自動的に解雇するシステムを指す。
これは、単に今まで人間が行ってきた事を、人工知能に代替させているに過ぎないが、機械が行う以上、会社に居る間は常に監視の対象となる。そのことが、どうしても息苦しさを感じてしまう。