民主主義が抱えるジレンマ。その課題と未来とは…。


民主主義と資本主義は、世界の課題を解決し、より良い方向へと国家を導く。

私を含め、多くの人間がそう信じている。しかし、それは果たして普遍的な真実であろうか?
最近、そう感じる事が多くなったことは、その制度自体が抱えるジレンマと、脆弱性を意識させられることが多くなったからだと言える。

ネットの普及は、人々に膨大な量の情報をもたらした。

これは、一見非常に素晴らしい事だと言える一方、世界に混沌を蔓延させる道具と化している事も決して否定出来ない。
何が言いたいのかと言うと、人間というものは、いとも簡単に扇動されてしまうと言う事だ。
ここ数年、ISIS、トランプ現象、英国のブレグジット問題など、有能な扇動者による多くの問題が引き起こされてきた。

勿論、これらの事象を『扇動』と捉える事に関しては、様々な意見が存在している事は十分理解した上で、敢えて『扇動』と言う言葉を使っているのだが、要は、どんな極論であっても、それを正当化するだけの情報がネット上には溢れているのだ。

例えるなら、2014年の米国科学技術振興会の発表では、米国民の実に26%が『天動説』を信じている。既に科学的に『地動説』が証明されているにも関わらずだ。当然、天動説をネットで検索すると、それを正当化する記事が五万と存在する。

情報化社会の最大の難点は、『人間は自分が信じたい事実だけを信じ、それを補完する為にネットを活用する。』という事だ。それが有能な扇動者に掛かると、いとも簡単に操られてしまう、という現実が存在する。

彼らのやり方は、人々の不安や恐怖・怒りと言った感情につけ込み、明確な敵な設定してやる事だ。
その際、必ず物事を単純化する。相手をステレオタイプ化する訳だ。例えば、日本人は…、中国人は…、移民は…、と言った具合だ。考える必要のないシンプルな言葉は、ある一定の層の人間には非常に心地よく聞こえる。後は只々、彼らが聞きたい言葉だけを与えてやれば良い。それが事実かどうかは問題では無いのだ。

なぜなら、彼らが欲しいのは『事実』では無く、怒りや不安の『捌け口』だからだ。

民主主義の弊害は、この『衆愚政治』に陥りやすいと面にあり、それがネットの普及で、そのリスクが着実に増大している点にある。

・存在感を増し続ける中国。

初めに言っておくが、私自身は中国の政治システムには全く共感できない。
ただ物事の正誤、善悪を一旦無視して考えると非常に合理的なシステムだと言える。

例えば、先進国で空港を作ろうとすれば地域住民との折衝に、多大な費用と時間を要する。
しかし、中国ではそんなものは必要ない。夜中の内に立ち退きを求めるビラを貼り出し、後は問答無用でブルドーザーで家を壊してしまう。

また、今後有望視される人工知能に於いても、共産主義は非常に親和性が高いと言える。
それは、AIに用いられるビックデータに関して、プライバシーや個人の権利と言う物を一切加味する必要が無いからだ。

何度も言うが、私は日本もそうなれば良いとは一切思わないし、それに対し全力で反対する。しかし、私達が理解しなければならないのは、私達が戦う相手は、そう言った国や企業だという事だ。

実際、プライバシー意識の高い欧米や日本では、GAFAに代表される巨大IT企業達は、GDPRに代表されるような情報の取扱いに大きな制約が科せられる。潤沢な情報を好きなように収集・利用できる中国のBATと対峙した場合、戦いにすらならない可能性すらあるのだ。

この先台頭してくる国々は、中国を初めインドなど比較的に個人の権利に対し、緩い制度を持つ国家だ。それらの国や企業と対峙する際、民主主義自体がボトルネックとなる危険性を秘めていると言える。

そもそも、『利便性』と『プライバシー』というのは、相反する要素だと言える。

例えるなら、Uberなどのライドシェア・サービスは、個人の『位置情報』のマッチング・サービスだと言えるし、GAFAが提供するサービスに関しても、要は自分の個人情報を提供する代わりに、便利さを享受出来るサービスだと換言出来る。それは、相手が自分の事を知っていればいる程、高い質のサービスを提供出来る、と言う当たり前の事実に行き着くものなのだ

正直、私のような内向的な人間にしてみれば、多少生活が不便でも出来る限りプライバシーは守りたいと考える。しかし現在に於いては、その利便性とプライバシーの境界線を個人が選択出来ないのだ。そして、この事は中国の台頭という事と無関係とは言えない。

結果的に、私達はスマホを持っている限りは、常に位置情報を収集され、グーグルで検索すれば、それらの情報は蓄積される。おまけに、スマホ決済が浸透すれば購買情報から、年収や社会的地位・趣味や家族構成など全てが丸裸にされる。
グーグルが、家族や貴方の大切な人以上に、貴方を理解するという事が有り得るのだ。

また、最近の記事ではAmazonが倉庫の従業員に対し人工知能を用いた解雇制度を採用しているという事実も明らかになった。これは、カメラも用いた画像解析技術から、個人の生産性や手を休めている時間などを割り出し、一定の生産性に満たない従業員を自動的に解雇するシステムを指す。

これは、単に今まで人間が行ってきた事を、人工知能に代替させているに過ぎないが、機械が行う以上、会社に居る間は常に監視の対象となる。そのことが、どうしても息苦しさを感じてしまう。

制度と言うものは本来、人を幸せにする為に持ちるべきものだ。

しかし、最近では社会の様々な制度が、その理念をはみ出し独り歩きを始めたような印象を感じる事が多くなった。それは、テクノロジーの進化に制度が追い付いていない為だ。

その事に対する弊害が、今世界中のあらゆるところで噴出し始めている。
私達は、その時代に合った制度を生み出せるのか、その事が問われているような気がしてならないのだ。